自分の物欲が怖いくらい。でも打ち勝てますように!

私の物欲の素晴しさったらないなあって感じます。

どうして買って満たされて、また欲しくなっちゃうのかしら?いいものを見かけるたびに、欲しいなあって物欲が湧き出てきて困ってしまいます。

そんなに欲しい?って自分に問いかけたりもするのですが、時間が迫っていたり限定だって聞いてしまったら、もうアウト。

欲しくて欲しくて、ついつい購入してしまいます。

無駄遣いはダメってわかっているのに、この物欲。どうにかならないものでしょうか?

これから物入りな時期になってくるのに、こんなことでは、全く貯金なんてできないかもしれないなあ、って心配になってきました。
でも、もしかしたら、この限りない物欲を利用して、なんとか貯金をする方向に向かないものかと考えています。そう、絶対欲しいけど、とっても高額なもので、それを手に入れるために貯金をするっていう作戦です。

 

もちろん、その高額アイテムを買ってしまえば、貯金にはならないでしょうけれど、それまでに使うお金を節約するっていう癖はつくかもしれません。

そういう癖をつけていたら、今後も貯金しようって思えるかも。貯金さえしていれば、いろんなことが楽しくスムーズな生活ができそうですし、時間をとって旅行にだって行けちゃうかも。


そう、そんなことをしたいなら、この溢れ出てくる物欲と戦わなくては!って思います。だから、みない!いいものを見ない!そうしておいたら、物欲だって、少しはおとなしくしていてくれるかもしれません。

特に絶対いるっていうものしか買わないようにして、安いからって余計なものは買わないようにする。そうしておいたら、無駄なものは増えないし、お金だってお財布の中に留まってくれますものね。

そう言い聞かせて、節約を頑張ろうと思います。なにせ物欲さえなんとかしたら、大丈夫!
将来の私のために、少しでも貯金して頑張っていこうって、思ってます。何よりも大事なのはお金だって言い聞かせなきゃ!

禁煙してお金の大切さを改めて実感しました

私はかつてタバコを吸っていました。


それもかなりのヘビースモーカーで、1日に2箱から3箱くらいは吸っていたのではないかと思います。
もう禁煙して2年になります。

禁煙のきっかけは、母の入院でした。


生死の境を彷徨う様な原因不明の高熱にうなされた為、大きな病院の個室に入れられて、入院当初は私が3日間泊まり込みました。


病院内は勿論禁煙で、それでも中にはタバコを吸う患者さんが居て、私も夜中にちょっとだけ…と思って母の元を離れたのです。


そしたらタバコを吸う場所で別の患者さんに話しかけられて珈琲をご馳走になり、私から失礼しますと退席しずらい空気になってしまい、かれこれ40分くらい母の元を離れてしまいました。

 

すると念のためと持っていた携帯がけたたましく鳴って、「看護師です、お母さん血だらけなので直ぐ戻って下さい」と言われました。


私が目を離した時間に目を覚ました母が、熱にうなされながらも点滴を引きちぎって、自力でトイレに行こうとしていたのでした。

 

その時、私は己がとても情けなくなり、「これはタバコを吸っている場合じゃない」と禁煙に踏み切ったわけです。

私が禁煙に使用したのは、ニコレットです。
96個入って安くて5千円代から、高いと7千円を越えます。
クレジットカードで支払っていて、計算すると、何と私、ニコレット代に60万円も使ってたんです。

呆然としました。

今はリボ払いにして返済中です。
順調に返済しています。

そしてニコレットも止めました。


タバコを止めても、心理的にニコチンに依存していたんだと思います。
完全な依存体質です。

幸い、前述しました母も、高熱は納まり、全身性エリテマトーデスという病気である事が判明しましたが命に別条は無く、現在は息災にしております。

 

あの時の情けなさを思い返せば、二度とタバコを吸おうとは思いませんし、禁煙につぎ込んだお金を思えば、これから頑張って節約して、いつかそう遠くない未来に両親と海外旅行に行こうと思っています。

禁煙と節約、頑張ります。

疲労が溜まってくると、エネルギー不足になってしまう

私は食事中に時々、口の中を噛んでしまうことがあります。
たいていそういう時は疲れが溜まっているようです。

その影響なのか翌日も、無駄に落胆するようなことが何度も続きました。
落胆するとさらに疲労が蓄積されていくような気がします。

そこでなるべく疲労を解消するために、早めに就寝したり、ビタミンを多く摂るようにしています。
睡眠時間も十分に摂れていますし、朝起きてもそれほど疲労感はありません。

なぜか頭と体が上手く動いていないのか、凡ミスや無駄に上手くいかないことが多くなったような気がします。

自分なりの分析ですが、心身に疲労が溜まってくると、エネルギー不足になってしまいます。
そこで、他のことに対しての見えない圧力みたいなものが少なくなってしまうのではないかと思います。

 

元気な時はエネルギーも満ち足りているので、自然に他社への圧力みたいなものも大きいのかもしれません。


目に見えないものですが、そのエネルギーの大きさによって、物事が上手くいきやすかったり、逆に思わぬところで上手くいかなくなったりしてしまうだと思いました。

 

私は木曜日くらいになってくると、かなり疲労が溜まってきてしまいます。


金曜日は何とか気力で乗り越え、週末に疲労を回復させているような状態です。

そのため、どうしても週の後半はエネルギー不足になってしまい、なんとなく心身ともに気合いが入りにくいような気がします。

 

できれば水曜日辺りに小休止をして、後半を乗り切るというペースが良いのかもしれません。


しかし、なかなか水曜日に休めるような状態になっていないので、そのまま疲れが週の後半に持ち越されてしまうようです。

 

ワークライフバランスが崩れてしまうと、思わぬところで思うように行かなくなってしまいます。
バランスを上手く取っていくことが大事だと思いますが、なかなか難しいのも現状です。

 

今の現状を踏まえて、今後はもっとバランスが取れるように、いろいろと工夫をしていこうと思います。

年齢を重ねるにつれ友人の意義に疑問を抱くようになりました

私はどちらかというと社交的で、誰とでも仲良くお付き合いができるタイプの人間であると周囲からは思われているようです。

もちろん、自分自身でもなんとなくその自覚はあるような気がします。

しかし、友人関係において、最近ふと疑問をもつようになってきた自分を発見しました。

「時代の流れなのかなぁ。私も友人関係をそろそろ清算する時期が来たのかなぁ」と思うようになってきたのです。

友人って皆さんにとっていったいどのような存在でしょうか。

私にとっては、友人とは心の支えみたいな存在だとずっと思っていました。

しかし、よく考えてみると友人とは所詮他人の仲なのです。 家族でも何でもないのです

冷たいようですが、この現実をよく理解しないと大人になるにつれ自分を苦しめることになります。

友人と言えども、皆結婚したり、転居したりして、それぞれの生活に変化が訪れるときがあります。

そうなると、今までの友人関係を維持するというのは難しくなることは容易に理解できると思います。

これはなぜかと言うと、人は環境で変化する生き物であるからです。

あなたがどんなに頑張ったとしても、相手もあなたも変化しつづけているのが事実です。

歳をとると「友人とは何なのか?」ということが今まで以上に理解できるようになります。

友人は家族のように自分を助けてはくれませんよ。

もしそのような友人がいたとしたら、あなたは本当に幸せ者です。

例えばあなたが独り身でいたと仮定し、入院したとします。

そのとき、あなたは信頼している友人とやらを頼ることはできますか?

もし答えがYESなら、その人は本当の親友と呼べるのではないかと思います。

しかし、大半の人にとってその答えはNOではないかと思うのです。 不思議な感覚ですが、私はつい最近この事実に気付きました。

今までは友人に依存していた部分があったことに少し反省の念が出てきたのはいうまでもありません。

「友人は所詮他人」という自覚を日々もって生きることが、最終的には自分にとっての心の平穏につながるということを深く理解するようになりました。